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私は群馬県に住む登山を趣味とする者である。新ハイキング2016年9月号で後藤信雄氏が「孫黒檜山」を紹介しているが、この山名は全くデタラメなものであると考える。「孫黒檜山」は、赤城黒檜山の北方にある標高1440.4mの三角点であり、点名は「二本楢」と云う。このピークは、1997年初版の「赤城山 花と渓谷 沢あるき滝めぐり30選」(上毛新聞社刊)では、「和久土也山」と記載されており、この山名が妥当であると考える。
ネット上では、「和久土也山」は
http://www.geocities.jp/st8108/2013/1324.html
が初出であると思われる。このページの2013年12月の記録には、頂上に「鷹ノ巣山」と書かれた標識があったと記載されている。その後2015年くらいから、「和久土也山」の記録がネット上に散見されるようになっているが、いずれの記録でも
http://www.netplaza.ne.jp/~hitos01/Toumou/Wakudoyasan.htm
にあるように、「和久土也山」の頂上に「孫黒檜山」と書かれた山名板があったと記されている。今回の新ハイキングの記事も手伝って、このピークに「孫黒檜山」というデタラメな山名が定着することを危惧して、ここに見解を明らかにするものである。
上記の経緯によると、「孫黒檜山」という言葉は2014年以降に発生したものと推測される。興味深いのは「鷹ノ巣山」の標識と「孫黒檜山」の標識を作製した人物が、標識の形状から同一人物であると考えられる点である。おそらく、「孫黒檜山」という言葉を生み出したのは、この標識を作製した人物ではないかと思われる。
一方、地元前橋山岳会のブログ
http://ameblo.jp/maebashi-sangaku/entry-12036797529.html
では、野坂峠北方の標高1400m台のピークを「和久土也山」としている。これには出典があり、1974年の「赤城の神」(煥呼堂刊)という本に確かに記載されている。しかし、これも誤りであると考える。その根拠として、産業技術総合研究所地質調査総合センターの次の資料
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_07100_1953_D.pdf
を見ると、この文中に「小黒檜山および枠戸谷山(二本楢東方の1,400m 高地)」という記述が現れるのである。この資料は1953年に記述されたものである。「和久土也山」は明らかに「枠戸谷山」が転じたものと考えられる。したがって、「孫黒檜山」などという山名は全くデタラメであることが明白である。次のページ
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/6b6821973f6de31a530e063debb72967
には、「かの名刺判標識で有名なG氏こと後藤信雄氏」という記載がある。一方、
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/b12c4118bd2e42fd693554a92bf9bfba
には、「沼田のN.G氏の名刺判」ということで「孫黒檜山」の山名板と同じ形状の画像が掲載されている。
以上を総合して考えると、「孫黒檜山」などといういい加減な山名を編み出したのは、後藤信雄氏自身であると想像されるのである。なぜもともと名前がある山にヘンテコな山名を付けようとするのか。自己顕示の裏返しであろうか。とにかく「孫黒檜山」などという言葉はもう使ってほしくないのである。
青木様 山名に対する見識に敬意を表します。しかし同じ山を志すものとして、相手を、「でたらめ」、「売名行為」と罵倒するのはいかがなものでしょう。山の名前は誰が決め、誰が認証したのでしょう。いろいろあっても良いのではないでしょうか。日の当たる側から付いた名は、日向山、日当山、反対側からの名は、日陰山などとままあることではないでしょうか。
思い付きですが、南アルプスの東岳も、悪沢岳、地蔵岳とも呼ばれています。どれが正しいと言い切れるものではありません。青木様は、1997年初版の「赤城山 花と渓谷 沢あるき滝めぐり30選」(上毛新聞社刊)では、「和久土也山」と記載されており、この山名が妥当であると考える。とのことですが、その出典はどうだったのでしょう。最初に本に掲載されたからというのでしょうか。
確かに、活字になると、独り歩きするのはままあることです。あきらかに問題のある(いい加減な)名前なら
いざ知らず、黒檜山があり、小黒檜山があり、無名(国土地理院地図には記載ない)の山名に孫黒檜山があるのは、ほほえましいものと思います(すみません)。後藤氏も、群馬の山歩きでは著名な方と伺います。その方が言い加減な名前を付けたとは思えません。地域の仲間内で広がっている名前だったのではないでしょうか。
ちなみに『コンサイス日本山名事典』(三省堂)、『日本山名事典』(三省堂)、『日本山名総覧』(白山書房)には、いずれの名前も掲載されていません。
大人の対応で、納められたらと思います。また、他の方もこれがという根拠がありましたらご教示ください。
私も一度登ってみたいと思います。
著名な人はいい加減なことを言わないという話には全く同意できない。「孫黒檜山」は明らかにいい加減な名前であると考えるので、ここで問題提起したのである。「子黒檜山」でなく「小黒檜山」なのに「孫黒檜山」があることなど、全くナンセンスである。無名の山であれば、無名峰ということで十分である。
補足になるが、「二本楢」は現在の赤城北面道路沿いにあった部落の名前と考えられる。産業技術総合研究所地質調査総合センター所蔵の1953年の資料
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_07100_1953_D.pdf
に「船ヶ原山(赤城根村二本楢部落西方の1,461m 高地)」と記述があるが、「船ヶ原山」は、現在「船ヶ鼻山」と呼ばれるピークで、国土地理院の地形図にある1466mのピークに間違いない。一方、「小黒檜山および枠戸谷山(二本楢東方の1,400m 高地)」との記述であるが、「枠戸谷山」は明らかに1400.4mの三角点を指していることも間違いない。この1400.4mの三角点の点名は「二本楢」だが、これは麓にあった部落の名前に由来すると考えられる。「和久土也山」や「枠戸谷山」は「わくとややま」あるいは「わくとやさん」と読むことが可能であり、同じ山を指すと考えられる。
1974年の「赤城の神」と云う本では、「和久土也山」という山名が現れるが、位置が野坂峠北方の1400m台のピークになっている。当時は、赤城北面道路も無く、位置の誤認から1400.4mの三角点と異なる場所を「和久土也山」と捉えたものと推測される。しかし、この時点において「和久土也山」と云う山名自体は、既に認知されていたことは間違いないのである。
1400.4mの三角点が「和久土也山」である決定的な根拠をもう一つ提示したい。この三角点は、明治34年(1901年)5月3日に選定されている。所在地は、群馬縣上野國利根郡赤城根村大字砂川字赤城原野である。このことは、当時この三角点を設置した陸地測量部による記録「点の記」に記されている。「点の記」は、現在、国土地理院で照会可能である。「点の記」には、この1400.4mの三角点の点名が「二本楢」であることが記されているが、ここに「俗称 ワクトヤ」と記載されているのである。今から100年以上も前である。「和久土也山」や「枠戸谷山」は、この「ワクトヤ」に由来することはどう見ても間違いないと考えられる。
私が示した「赤城山 花と渓谷 沢あるき滝めぐり30選」の著者A氏は、赤城山を隈なく歩いた伝説の人物と言える。A氏に関する非常に興味深いエピソードを次のページで読むことができる。
http://blog.livedoor.jp/suzugatake/archives/409094.html
http://blog.livedoor.jp/suzugatake/archives/412704.html
A氏は、赤城山を隈なく歩いているうちに、どこかで1400.4mの三角点を「和久土也山」と云うことを知ったのであろう。私はA氏に敬意を表し、1400.4mの三角点(点名:二本楢、俗称:ワクトヤ)を「和久土也山」と呼ぶのが妥当であると考えるのである。
新ハイキング社にお願いがある。私は「孫黒檜山」の由来を知りたい。これは、後藤信雄氏に尋ねれば、解決する問題である。ぜひ後藤信雄氏の見解を示していただけないであろうか。それが、確かなものであれば、私や「孫黒檜山」という言葉に疑義を抱く人達も納得できるのである。
青木様 山名について、いろいろとご指摘ありがとうございます。青木様の博識には私など、到底足元にも及びません。それにしても私はいつから著名人になったのかと苦笑しています。
さて、山の名前についてですが。どうしても一つでないといけないものでしょうか?もし正しい山名というのであれば、国土地理院の地形図に記載されたものということになるのでしょうが、yamazukibitozさんも書かれているように、山の呼び方には地域によって二つも三つもある山があって、このような場合は一体どうしたらよいのでしょう。
一例をあげますと、沼田市の戸神山は地図上記載の正式な山名ですが、北部では石尊山と呼び、一般市民に最も親しまれている呼び名は三角山です。私などは、いつも三角山と呼んでいるのですが、誰かに「間違っている」などと怒られたことはありません。
青木様の「和久土也山」のいわれなどは、良く読ませていただき大変勉強になりました。無責任のようですが、私は山名などもともと気にする性分ではありません。なぜかというと、山名によって山の姿形が変わるわけではないし。本質までが変わってしまうわけではありません。これから先の人生、「少しでもたくさんの山に登れて、山の雰囲気を味わっていられればいいなあ」と思っているだけの、ただの単純人間ですから。
青木様の言う、デタラメ、ヘンテコ「孫黒檜山」ですが、私が勝手にでっち上げた山名ではありません。青木様のような立派な出典があるわけではありませんが、地元の山に大変お詳しい方がいらっしゃって、孫黒檜山と呼んでおられたので、「なるほどなあ、ぴったりの山名だ」と思って使いました。
ヘンテコなどという前に、そんなに人に知られぬ不遇な山を、親しみを感じさせてくれて、一度は登ってみたくなる山名だとはお思いになりませんか?
だからと言って。これからこの山名を広めて、定着させようなどという、大それた目論見があるわけではありませんので、悪しからずご了承ください。したがって青木様が申されるように「和久土也山」が正しいというのであれば、「和久土也山」で良いではないでしょうか。私は別に反論するものではありません。
青木様は、私のことを自己顕示欲が強い人間などとおっしゃられますが、どのように思われるかは勝手ですが、自己顕示欲のない人など。この世にはいないし、山で出会ったこともなければ、またご迷惑をおかけした覚えもありませんので、見ず知らずの人に、山名のことで、このような罵りを受けることは非常に嫌な気分になります。
それから、デッチアゲ、デタラメ、ヘンテコ、見解を示せ、などという言葉は、最初から相手をやっつけるときによく使う言葉なので、こうした山の愛好者のための投稿欄でお使いになられるのはいかがなものかと存じます。
最後に、私の原稿を載せていただいた「新ハイキング」誌にご迷惑のかからないことを祈念します。ありがとうございました。
まず、青木様の、勇気ある投稿に対し、敬意を表したいと思います。
次に、後藤様の返信投稿には疑問を感じました。
以下、後藤様の投稿から一部抜粋させていただきます。
「青木様の言う、デタラメ、ヘンテコ「孫黒檜山」ですが、私が勝手にでっち上げた山名ではありません。青木様のような立派な出典があるわけではありませんが、地元の山に大変お詳しい方がいらっしゃって、孫黒檜山と呼んでおられたので、「なるほどなあ、ぴったりの山名だ」と思って使いました。」 抜粋終了、
とありました。
疑問点1:立派な出典があるわけではありません
疑問点2:地元の山に大変お詳しい方が・・・呼んでおられたので、「なるほどなあ、ぴったりの山名だ」と思って使いました。
疑問点1に対し:
我々『新ハイキング』誌の読者は、それなりの対価を支払って本誌を購入しています。従いまして本誌に対して、「対価に見合う品質」を求める権利があると考えております。本誌のような「ガイド記事・紀行文」を扱う書籍の品質とは、装丁の立派さ等はあるにしても、まずは「内容の正確さ、見やすい略図等」と考えるのが一般的かと思います。新ハイ本誌の核をなす「ガイド記事・紀行文」の山名表記が、後藤様の言われる「立派な出典がある訳ではありません」旨の、歴史的にも意味の薄い、改名された名称であるとすれば、残念に思う読者は私一人ではないと思います。かつて、新ハイ本誌の「白馬(しろうま)白馬(はくば)論争」で健筆をふるった故・浅野孝一大先輩は、その著書『知的登山のすすめ』の中で、「・・・(地名等)の孫引きは避ける、可能な限り古い(歴史的に意味のある)出典を探る」旨、説かれています。出典について氏の説を聞く、聞かないはガイド記事や紀行文執筆者各人のご判断となりますが、新ハイの末席を汚す一人としては、地名・山名表記について「歴史的に意味のある出典」からの引用で精度ある地名・山名表記(品質)を希望する次第であります。
また、ありていに申しまして、でっち上げではないにしても、「立派な出典がある訳ではありません」旨で改名された山名で書かれたガイド記事・紀行文であれば、読む意欲が薄れます。
もっとも、「読者の投稿を構成の主体とする」本誌の性格上、地名・山名表記について精度は要求しない、後藤様の言われる「立派な出典がある訳ではありません」式の山名表記を新ハイキング誌として「可」とするのであれば、誤解する危険性はあるものの、その程度の品質・精度として差し引いて読むのも、然るべく(消極的同意)選択肢の一つとも、思います。
疑問点2に対し:
私事ですが、サラリーマンとして永年「無駄な会議、ダメな議論」に膨大な時間をかけました。そこで学んだことは、「検証できない主張は否!」です。後藤様の言われる「地元の山に大変お詳しい方」とはこの場合の「検証できない」に該当する、のではないでしょうか?百歩譲って、「地元の・・・方」が存在したとしても、”「なるほどなあ、ぴったりの山名だ」と思って使いました。”とありますが、雑誌・書籍等の出版物に軽々しく改名した固有名詞を表記するのは如何なモノでしょう?軽率な行動ではありませんか?
書籍にのる地名の正確さに関する考え方の参考に新ハイ選書から引用します。
『一等三角点の名山と秘境』(安藤正義、多摩雪雄、富田弘平、松本浩、共著)のあとがきから
「・・・「山名」の読み方は『コンサイス日本山名辞典』での読み方等を原則として採用している。(中略)七洞岳の点名、白岩峯は『点ノ記』にふりがな無しなので本書でもふりがなをしていない。・・・」(富田弘平)
引用おわり。
活字化される地名・山名にたいする文責の重さを表現した大先輩の一文と思います。富田氏他、執筆者皆様の慎重な姿勢に感銘を受ける読者は私一人でしょうか? 振り返って、意味ある出典からの引用でなく、「なるほどなあ、ぴったりの山名だ」と軽々に改名された地名・山名の固有名詞で書かれた紀行文に文責は存在するのでしょうか? 因みに、後藤様のガイド記事・紀行文の中で、「・・・ぴったりの山名だ」式に改名した(使った)山は、「孫黒檜山」が何座目に当たるのでしょう? 僭越ながら、この様な事象が茶飯事でないことを祈念しつつ、『新ハイキング』誌のさらなる精進を期待し、投稿させていただきました。
無礼な文言、平にご容赦願います。
青木様
「国土地理院の「点の記」には、点名が「二本楢」であることが記されているが、ここに「俗称 ワクトヤ」と記載されているのである」。となれば、あなたの説によれば「ワクトヤ」とすべきで、「和久土也山」や「枠戸谷山」と記載するのも、「正式名称」ではないということになるのではないでしょうか。
「私はこう思います。根拠として、こういう(由緒ある・信頼できる)資料があります」。
で良いではありませんか。後は後藤様、新ハイキング社様がどう対応するかではないでしょうか。
次に、加藤様の投稿ですが、
後藤様の言われる「立派な出典がある訳ではありません」旨の、歴史的にも意味の薄い、改名された名称であるとすれば、残念に思う読者は私一人ではないと思います。と書かれましたが、
そうでしょうか?
地元で古くから呼ばれているのも「歴史的にも意味ある」ことではないでしょうか。「検証できない」から駄目だと一概に否定できるのでしょうか。
2万5千図を見て、登ってみた。その登山記録を残すのに、国土地理院地図にも山名掲載がない、じゃぁ、どうする。となれば、地元で呼ばれている名前を使っても不思議ではないのではないでしょうか。
同じ山歩きを目指すものにとって、見識、知識を振り回して相手を罵倒するのは見苦しく思います。
しかし、この「掲示板」の論争?がきっかけとなり、それらを踏まえて、あまり知られなかった山が脚光をあびて、山名が浸透されれば万々歳ではないでしょうか。
見解を示していただいた後藤氏に感謝する。「孫黒檜山」という言葉の由来は、その程度の話であろうと予想していた。9月10日の加藤氏の疑問も尤もなことである。先達が山名や地名の表記について参考になる姿勢を示しているのに、それを生かすことができていないのは誠に残念である。
この場では、荒川東岳や戸神山が例として挙がっているが、今回の和久土也山のケースは、これらのケースとは全く違っている。だから、私のようなことを言う人間が出てくるのである。一つの山に名前はいくつあっても構わない。不当な山名が流布されることが非常に問題なのである。私は、山の名前は一つでなければならないなどとは一言も言っていない。
山名をもともと気にする性分でないのなら、なぜ方々の山頂に山名板を取り付けて歩くのか? 大きな疑問である。本来、登山者は立ち木に直接ねじを打ち込むような行為はすべきでないと私は考える。人知れぬ山に一個人の判断でレッテルを貼る必要など無いのではないか。1400.4mの三角点を和久土也山と云うと信じていた人間にとっては、「孫黒檜山」という言葉には親しみどころか違和感しかない。その言葉を目にした時、非常に嫌な気分になったのを覚えている。たとえ「孫黒檜山」という言葉を広めて、定着させようなどという意図が無かったとしても、「新ハイキング」という登山界で非常に権威がある雑誌にこのような原稿を発表するということは、結果として、山名を広め、定着させることになるのである。
ついでに述べると、新ハイキング2016年9月号において、後藤氏は、和久土也山の登山口付近で、ヒカリゴケを岩窟の中に見ることができると記述しているが、残念ながら岩窟の中にヒカリゴケなど見ることはできないのである。ヒカリゴケは、とうの昔に絶滅してしまっている。ヒカリゴケは昭和57年(1982年)4月に県指定天然記念物に指定されているが、平成17年(2005年)3月に指定解除となっている。間違った情報は訂正することをお奨めする。「新ハイキング」のような雑誌に原稿を掲載するということは、それなりの影響力があることを、筆者は常に肝に銘じ、細心の注意を払う必要があるのではないかと考える。
いずれにしても、この際、「孫黒檜山」という言葉を撤回すると同時に、和久土也山頂上の立ち木に打ち込まれた「孫黒檜山」と書かれた山名板を撤去してはいかがであろうか。以上を後藤氏に提案したい。
最後に、後藤氏にはもう一つだけ教えていただきたいことがある。「鷹ノ巣山」という山名の出典は何であろうか? おそらく、地元の山に詳しい人から聞いた言葉ということだと思うが、教えていただけると幸いに思う。また、加藤氏が言われるように、今回の「孫黒檜山」のような事例が他に無いことを祈りたい。
○ 青木氏に、反論させていただきます。
「 今回の「孫黒檜山」のような事例が他に無いことを祈りたい 」、などと私を非難されました。そういうことになると、読者の中にはそう思う人も出てくることになるでしょう。今まで本などに投稿または、採用していただいた地元の山を掲げておきますので、
これらもそう思われて反論なされるようでしたら、そうしてください。
1・想台山、2、石尊山(白沢)、3,大楊山(向山)、4,万寿ヶ峰、 5水無山、 6,高戸谷山(天狗山)、7、櫃山(浅間山)、8、大平山、9,荷鞍山(ふじやま)、10伊賀野山(新治)、11伊賀野山(中之条)12,竹山、13 大平の石尊山、14 上ノ沢の石尊山、 15中尾の石尊山、
16 あきや山、 17 秋葉山(沢渡) です。
これらの山名は、私が勝手に考えだしたのではなく、すべて地元の人から聞いた山名です。これ以外にも、山名が曖昧であるため、誌上には発表出来ない山がまだ10山以上あります。鷹巣山は確かに迂闊でした。20年ほど前、プレートをつけてしまったことをたいへん後悔しております。ただ、このような曖昧な山を、誌上に発表したりはしません。
私は地元で呼んでいる山名というものがあれば、これは大切にしています。
「 ここに立派な文献があるだろう、 」と急に言われて、いきなり、罵倒されたのではたまりません。そもそもその山名の始まり自体が、ほとんどすべてと言って良いくらい、地元の人が呼んでいる山の名前から定着したものだからです。
ですから、地方によって山名がいくつも生じて来ることはあり得ることで、その山名をあえて否定する必要などはないでしょう、と言いたいのです。
青木氏は、
「 荒川東岳や戸神山が例として挙がっているが、今回の和久土也山のケースは、これらのケースとは全く違っている 」とおっしゃられましたが、和久土也山の山名の発祥と、どこが全く違うのか、もう少し分かりやすく、違いを説明をして欲しいと思います。
青木氏は
「 私は、山の名前は一つでなければならないなどとは一言も言っていない 」とおっしゃられていながら、なぜ、和久土也山という一つの山名にだけに固執されるのでしょう。
孫黒檜山の名前が不当なものだからとでもいうのですか? では、なぜ不当と言い切れるのでしょうか。憶測などで、人を批判することはしないでください。
加藤様にお訪ね致します。
地元の人から聞いた山名を、私が安易に使ってしまったので、その本の価値や品質が落ちてしまうというお考えのようですね、要するに誰が言ったかも分からぬ山名などは、検証する方法が無いのだから、認められないということですね。
( 加藤様の投稿の一部を抜き出させて頂きます。)
後藤様のガイド記事・紀行文の中で、「・・・ぴったりの山名だ」式に改名した(使った)山は、「孫黒檜山」が何座目に当たるのでしょう? 僭越ながら、この様な事象が茶飯事でないことを祈念しつつ、『新ハイキング』誌のさらなる精進を期待し、投稿させて・・・)
とありましたので、その疑問にお答えするために、上記にそうした今まで無名であったような山ばかり、あえてこの場にあげさせてもらったのです。
「 改名した(使った)山は「孫黒檜山」が何座目にあたるのでしょう?」とは、随分と人を侮辱している物の言い方です
私は、地元の人が呼んでいる名前というものがあればそれを大切にしている人間です。 加藤さまも、青木氏と同じように証拠がないと言い、そして感銘を受けるほどの、浅野孝一氏や富田弘平先生などの業績を例に出して、「 山名とは、厳密に、こういうものだ 」と、ご高説を述べられていらっしゃいます。私も、山に関する文献や先人の考え方などがあれば、それは尊重していますし、無視したりなどはしておりません。
人から聞いた山名と言うのでは、私の返信などは少しも信じてもらえなかったようです。それでは、あえて申しあげますが、沼田市下発知町にあります、5百年の歴史を持つ曹洞宗観音寺には、本堂控え室の欄間の壁に、山のパノラマ絵図が掛けてありまして、沼田の周囲の名前のある山が、ほとんど網羅されております。それには、赤城山の黒檜山ー小黒檜山ー孫黒檜山も、ちゃんと描かれており、孫黒檜山の山名も入っております。
寄進されたものだそうですから、少なくとも寄進した人は、孫黒檜山を十分知っていたでしょう。
青木氏が要求されているように、私が孫黒檜山を撤回したとしても、このような名刹に対して、寄進されたこの絵の山名を撤回してくれ、などとは、とうてい言えません。
いっそのこと、青木氏が、「 自分にはこのような立派な出典があるので、「孫黒檜山」という山名を撤回し、「和久土也山」という山名にしてくれ、」と言われたらどうでしょうか。
新ハイキングの本は、ベテラン登山者のための専門山岳誌ならばともかく、山の初心者の方もたくさん、購読しておられるはずです。
そうした読者への内容を考慮すれば、山名のうんちくより、登山者に対してなによりも安全にと、山の様子、登山道の状況、ルートの注意点、危険個所などの情報を正確に伝えてゆくことの方が、より実用的で、最も大切なことなのではないでしょうか。それによって、新ハイキングの目的が達成されるのであれば、加藤様が言われるような、本の品質、価値が低くなってしまう、などということはないと思っております。
青木氏は、
和久土也山に登られたときに、「 孫黒檜山という表示があって、大変嫌な気分がした 」、とありましたので、私は知らず知らずのうち、ご迷惑をおかけしたようで、申し訳ございません。しかしながら、私なら多分、「 別の山名もあったのか! 」と驚くとともに、大発見をしたと、大喜びしてしまったことでしょう。これは、私が今まで、沢山の無名の山に登って、新しい発見をしたときの気持が、実際にそうであったのですから、仕方がありません。
登山道もない山のことを書くために、一生懸命、調べながら登り、たった一人で心細い気持で山頂に立ったときに、先人の付けた山頂プレートなど見つければ、一体それがどれほど心強くて、そして感激して、喜んだことでしょう。少なくとも、「 嫌な気分になった 」などということは、今まで一度もありませんでした。 しかし、人はさまざまで、これは、感性の違いですから仕方がありません。
加藤様のご指摘を受けるまでもなく、人から今まで聞いたことのない孫黒檜山の名を聞いて「 なるほどなあ、ピッタリの山名だ 」と、喜んでいる浅はかさでは、確かに読んでもらう人にとっては、迷惑を掛けてしまうので、これからは改めてまいりたいと思います。
青木氏は、
私の文章がいかにもデタラメであるかのように、山名の議論と関係ない、登山口のヒカリゴケの指定解除のことまで、今回持ち出されました。確かに私の失敗と迂闊さは認めますが、登山口にあるものを目安に示したかっただけのことを、ことさら強調して、非難するようなことはやめて頂きたいのです。そういうやり方を「重箱のスミを突っつく、」と言うのではないでしょうか。真摯な議論の場からは、離れていってしまうからです。
青木氏の一番はじめの投稿にしても、最初からいきなり犯人探しのようで、まるで喧嘩腰の物言いでした。今後どのような反論をいただいても、これ以上の議論はしたくありません。 理解しあえるような余地のない議論を、いくらしたところで、これでは、お互いのアラ探しとなるだけで、キリがないではありませんか。
あとは、この投稿欄をごらんになっている読者の方々の判断にお任せします。
「地元で呼んでいる山名」というのは、通常は古くから地元で言い習わされている山名ということで理解されるのではないかと私は考える。そのため、一つの山に対し、地域によって山名がいくつも生じるということは否定しないし、そういう山名を大切にすることは悪いことではない。1400.4m三角点峰については、ここで示したような種々の資料から、私は「和久土也山」と呼ぶのが相応しいと考えているが、もちろん「ワクトヤ」でも「枠戸谷山」でも「二本楢」でも良いのではないかと考える。さらには「悪鳥屋」という表記も存在するのである。しかし、「孫黒檜山」と云う山名は、果たして「地元で呼んでいる山名=古くから地元で言い習わされている山名」と言って良いのであろうか。その点に疑義を抱いているので、ここで問題にしているのである。
下発知町の500年の歴史がある観音寺にあるという山のパノラマ絵図は、沼田市のY氏という方が2012年(平成24年)に寄進した「石尊山手書きパノラマ絵」というものを指しているのであろう。この中には、確かに「孫黒檜山」の記載が存在するが、絵図自体はその年にスケッチされたものと思われ、歴史を持つものとは言い難い。私自身はY氏を存じ上げていないので、例えば、Y氏の出身の集落では和久土也山のことを「孫黒檜山」と呼んでいたということがあるかもしれない。後藤氏も「少なくとも寄進した人は、孫黒檜山を十分知っていたでしょう。」と述べているが、後藤氏にとって、もちろんY氏は面識がある人物であろうから、Y氏に尋ねれば、その由来を知ることはできるのではないかと思うし、既にその由来についてご存じなのではないだろうかと思う。私は、「孫黒檜山」とは「地元で呼んでいる山名=古くから地元で言い習わされている山名」ではないと推測しているので、このような山名を新ハイキング誌上で発表し、流布するのはいかがなものかと考えているわけであるが、もし間違っていれば、ご指摘いただきたい。
「地元で呼んでいる山名」や「地元の人から聞いた山名」であったとしても、それが、地元の誰かが近年言い出したような山名であったり、思い付きで言われたような山名であれば、誌上で発表するのは控えられた方が良いのではないかと考える。後藤氏は、山名などもともと気にする性分ではないということなので、山名がよく分からない山に関しては、無理に命名せずに、無名峰のままで良いのではないかと私は思う。それならば、今回のような摩擦も生じなかったはずである。
参考に、南川金一氏が「続・山頂渉猟 知られざる山・道なき山の記録」(白山書房刊)という著書の中で述べていることを引用したい。「2万5千図上の無名峰には、①地形図上では無名だが地元では定着した山名があって、出版社が発行している地図にはその名前が表記されている山、②地形図上では無名であり、出版社が発行する地図でも無名であるが、頂上あるいはその近くに三角点記号が注記されている山、③地元で「○○の頭」といった名前で呼ばれている山、等がある。(中略)②の、三角点が設置されている場合には、三角点には必ず名前がある。本書では、その点名をもって山名とし、「点名・○○」、または三角点名で「○○」とした。多くの点名は20世紀初頭の三角点設置時に付けられた名前であるが、測量官が勝手に付けたものではない。その山について地元での呼称を確認できたときにはそれを採用し、確認できなかったときにはその山を源流とする沢や山麓の地名を採用した。したがって点名には、三角点設置時にその山が山麓の住民からどのように見られていたのか、その見方が反映していると考えることができる。」 山名に対する慎重な姿勢が窺えるのではないか。
終わりに、砂川のヒカリゴケに関する私の指摘に関して、後藤氏は「重箱のスミを突っつく」などと言われているが、「新ハイキング」の記事を読み、ヒカリゴケを期待して遠くから足を運んで来た人がいたとすれば、ひどくがっかりさせることになり、そのような人に対してどのように説明したら良いのであろうか。情報を正確に伝えていくことが、最も大切なことであるのなら、適切な対応をする必要があると考える。そこで、訂正をお奨めした次第である。
「和久土也」はどのような意味ですか、もしかして意味などあまりよく分からぬ名前ではないでしょうか、だから「和久土也」、「ワクトヤ」、「枠戸谷」、「悪鳥屋」などという、たくさんの当て字の名前が生まれてくる・・・???
「孫黒檜」というのは、親がいて子がいれば、孫がいても不思議はないけれど、山の世界では、その孫が最近生まれました、というのは認知してもらえない・・・???
青木氏も後藤氏もこの山の持ち主なんですか?? たぶん別の人でしょうね。むずかしい議論の前に、端的この山の持ち主に「ご自分の山を何と呼んでいるのですか?」と確かめてみたらいかがですか。
もし、山の地主さんが
1.これは○○山である、と言ったら
これはもう、どんな理屈言っても○○山で決まりですよね。
2.名前など無い、と言ったら、
和久土也が良いですよ、それとも孫黒檜の方が良いですか、と言って持ち主にどちらか選んでもらうという手もありますよ。
3・好きにしろ、と言ったら、
もう、知っている名前を使わせてもらうより仕方ありませんね。
そうなると、いろいろな山名があっちこっちから出てくるかもしれませんね、
でも山に限ったことでなく、名前の起源などは、今の若者言葉のように、いろいろ出てきて定着する。・・・?
いつまでも、主張し続けているのは、もしかして、この山は自分のものと思い込んでいるからではありませんか? たいていの人は、山名にかかわらず、山に登って楽しめれば、それで良いと思っているのでは・・・。
yamasukibitozさんと後藤さんは同一人物じゃない? 青木さんの文章は論理的で筋が通っているけど、後藤さんの文章は感情的でチグハグな感じがしますね。青木さんの説に分があるのではないかと思います。
埼玉県警山岳救助隊・飯田副隊長から次の連絡が入りましたので、この欄を借りてお伝えします。
《野生動物の襲撃遭難連続
埼玉県警察山岳救助隊 飯田です。お世話になります。秩父では蜂と熊に登山者が襲われ死傷する事故が2日連続発生しましたので詳細報告します。
8月6日午後2時、豆焼沢で沢登りの4人パーティーは登山道から沢に下降していたところ、樹林帯の岩斜面で80歳男性が黒スズメ蜂(ジバチ)に37カ所刺され、自力で40m歩いたものの10分後に心肺停止、防災ヘリで収容されましたが死亡。この男性は登山歴70年、一年前に蜂に刺されています。また、仲間が蜂を追い払った際に黒手袋の女性も手袋の上からニ箇所刺されています。
7日秩父市荒川日野地区の民家から五分登った岩場にて、登山道脇の洞穴を58歳ハイカーが覗いた所、中から熊が飛び出し襲われ、熊とハイカーは絡み合いながら登山道脇の垂直斜面を5m滑落、熊は斜面を上に去っていきました。襲われた男性と山岳救助隊は最初に接触しましたが、全身血だらけで顔と手に深い傷を負っています。我々も山に入るのが怖くなる位の激しい損傷です。着衣のある部位に傷はありません。体表露出部位は全て被害を受けてます。過去、岩穴に熊がいたことは何度もあり、熊は出てきても逃げるのですが、登山者か穴を塞ぐ形になったので退路がなくなった熊に教われたのでしょう。
大持山の稜線秩父側には岩穴が多数あり熊がいる場所です。当隊では蜂スプレーにショルダー紐を付け常時携行し、熊撃退スプレーも同様に携行しています。30年救助隊で活動してますが、蜂によるショック死、熊の襲撃も初めてのことです。お互い注意して活動しましょう。》
山岳作品上映会のお知らせです。
9月3日、松本市教育文化センターで、山岳映像の師、立石恵一様と、私の6作品を上映します。
立石様は、新ハイキングの「 お山の教室 」で講師もされておられます。
昨年9月、伊集院 光 様が、山岳自分撮りの方法をお聞きしに、吉野宅を訪問された様子も上映します。
伊集院 様からの、ご来場の皆様宛のメッセージもあります。
7月20日発売「 伊集院光のてれび 完全版 」の特典映像内で、私が紹介されました。
2016年8月号が手元に届きました。
背戸峨廊は、自分も2015年9月初旬に歩きましたが、
2015年9月10日頃の大雨で、再びトッカケの滝までになっているようで、
その先は通行制限されています。
いわき市のサイトより(2016/1)
http://www.city.iwaki.lg.jp/www/sp/contents/1450202262805/index.html
その後に復旧したという情報はないようです。
トッカケの滝から先については、いわき市に情報を確認した方がいいと思われます。
その後、復旧し、7/16から通行が可能になったようです。
いわき市観光情報のサイトより
http://kankou-iwaki.or.jp/news/67260
「山遊尽!」山行に参加いただいた紳士・淑女の皆様、ご無沙汰しております
まだ参加していただいてない皆さま、はじめまして
写真は直近の岩手山からのパノラマです
森吉や姫神も顔を見せました(反対側なので写真には写ってません)
10月度本部山行では写真の早池峰を端から端まで歩くべく、プランしました。
初参加の方も歓迎します。興味ある方はどうぞご参加ください。
山遊尽!
6日、ずぶ濡れで小屋に入ってきた若きジョン・ブル達と国際交流の一コマ
かなり、お節介を焼きました
彼ら、
雨の滴るシュラフをそのまま乾かそうとするし、煙突の熱で溶けて穴をあけるし(テープで補修してあげました)
水が溜まった靴やビチョビチョの靴下をそのままストーブで乾かそうとするし(日本式?新聞紙の使い方を伝授)
さすが英国人、行動が大胆というか大雑把というか・・・雨の中入ってきて、また雨の中に出ていきました
烏帽子岳から岩手山を振り返る
昨年の10月の本部山行「安比岳~岩手山」の三日目、「鬼ケ城~岩手山~焼走り」ルートの一部を茶は先で示しました(かなり大雑把ですが)
国際交流した三ツ石山荘は雲の中
参加していただいた紳士・淑女の皆さま、ご記憶の検証にお使いください
酔っぱらって、眠くて間違えました
訂正させて頂きます
誤:ルートの一部を茶は先で示しました(かなり大雑把ですが)
正:ルートの一部を茶破線で示しました(かなり大雑把ですが)
失礼しました
ついでにお食事タイムの一コマ
「山遊尽!」本部山行の申し込みハガキ受付日変更のお願い
山行にご参加いただいた紳士・淑女の皆様、ご無沙汰致しております
これからご参加の皆さま、はじめまして
8月15日に配本の『新ハイ9月号』に掲載される、下記計画の受付期間を前倒しさせて頂きたく、そのお願いです
山行期日:9月2~5日(火) 3泊4日
山行名:「北ア・蝶ケ岳~餓鬼岳縦走」(『同8月号』の計画予定では「餓鬼岳~蝶ケ岳」と表記)
ハガキ受付期間
誤:『新ハイ9月号』着~8月20日締め切り
正:『同8月号』着~7月20日締め切り(一ヶ月前倒し)
変更の理由:参加人数を考慮し、往路をチャーターバスから一般の高速バスに変更しました。バスの切符発売開始が一ヶ月前ということで、7月末には人数を確定する必要が生じたため、受付期間を早めました
要は、『新ハイ9月号』が8月に届いてからではバスの切符が買えないことが予想され、一ヶ月前の『同8月号』に掲載「9月の山行計画予定」の段階でご判断いただき、7月20日着にあわせ申し込みハガキを投函していただく旨、宜しくお願いしたい次第であります
槍・穂高から鷲羽・水晶・針ノ木・蓮華と千両役者を4日間飽きるほど眺め、秋色に染まる北アルプスを存分に堪能したいと目論み、プランしました
初参加の方も歓迎します。興味ある方はどうぞご参加ください。
山遊尽!
本部山行「剣ケ峰~金峰山~八幡尾根」の一コマ
苔むした倒木帯と石楠花のヤブを3日間、存分に堪能した紳士・淑女の皆様、お疲れさまでした。
ルートを茶破線で示しました
ご記憶の検証にお使いください
尚、時間切れで歩き残した「チョキ~木賊峠」は次の機会にプランしたいと思います
山遊尽!では、写真のように「山にドップリ浸かった気分のいい山行!」を計画・実施してます。
初参加の方も歓迎します。興味ある方はどうぞご参加ください。
山遊尽!
剣ケ峰から石楠花新道まで続く倒木帯の通過に辟易する
ガス煙る岩尾根を下降する
八幡尾根のハイライト!
3日目、最期の試練、太刀岡山北峰を登り表情も緩んだパーティの面々
山遊尽!山行に参加いただいた紳士・淑女の皆様、ご無沙汰しております
まだ参加していただいてない皆さま、はじめまして
写真は直近の飯豊です
7月度本部山行「北股岳~朳差岳」のルートを茶破線で示しました
「山と温泉にドップリ浸かった気分のいい山行!」を目論み、プランしました。
初参加の方も歓迎します。飯豊に興味ある方はどうぞご参加ください。
山遊尽!
焼岳ほか、長野の山を計画される皆様へ
長野県から知事名で以下の告示が公布されてます
登山計画の参考にしてください
因みに、焼岳の冬ルートの「南尾根(仮称)」は本告示の指定山岳および指定登山道・指定登山口に含まれます
***************************************
(以下、告示第253号から抜粋)
『平成28年長野県告示第253号
長野県登山安全条例(平成27年長野県条例第52号)第20条第1項の規定により、次の区間の登山道を指定登山道として指定します。
平成28年4月11日 長野県知事 阿 部 守 一
次の表の指定山岳の欄に掲げる山岳等の登山道のうち、同表の指定登山口の欄に掲げる登山口から山頂等までの区間(同表の除外区間の欄に掲げる区間を除く。)』
(中略)
尚、「バリエーションルートの扱い」については以下に
指定登山口から山頂までの全ての登山道が指定登山道となるため、バリエーションルートや通常知られていない登山道であっても指定登山道に該当します。
(中略)
また、本件の告示について問い合わせ先は以下です
「長野県庁観光部山岳高原観光課
電話番号:026-235-7251
***************************************
本部山行「裸山丸~桧洞丸~ヤヒチ沢ノ頭」の一コマ
山笑う西丹沢・同角沢源頭部にトレースを残した紳士、淑女の皆様、お疲れさまでした。
山遊尽!では、写真のように”霧の旅”を彷彿とさせる「山にドップリ浸かった気分のいい山行!」を計画・実施してます。
初参加の方も歓迎します。興味ある方はどうぞご参加ください。
山遊尽!
裸山丸を目指し尾根に取付く、東沢乗越の先で滑落注意!、下の水流は渡渉した玄倉川
3月10日の「お山の教室」は、山梨市役所の山崎公誌 様を講師にお迎えしての「山梨の山へいらっしゃい」です。私は自分撮りで山のコースガイドと展望解説映像作品を制作し
「愛TVながの」http://itv-nagano.com/contents/svideo/
にアップしています。公開にあたり正確を期しております。疑問が出た時は、管轄の役場に問い合わせ、作品に反映させています。これ迄、多くの役場に問い合わせて来ましたが、山崎様ほど、山の知識が豊富で深い方は居ませんでした。乾徳山、小楢山の制作では、多くの質問をし、的確な回答を頂き資料も送って頂きました。最近では奧秩父の鶏冠山で、多くの質問をし、山崎様のご回答を反映し、作品を完成させ「愛TVながの」にアップ出来ました。私も参加したいのですが、仕事で行けず残念です。
ビデオSALON に投稿した映像作品「奧秩父 鶏冠山 ( 8分 ) 」がアップされましたのでご報告させて頂きます。
https://www.youtube.com/watch?v=rnBUlz8aIDQ
本部山行「五地蔵山/黒姫山スノーシュー」の一コマ
五地蔵・弥勒尾根にて
積雪期、訪れる人も希な黒姫と五地蔵にトレースを刻んだ紳士、淑女の皆様、お疲れさまでした。
山遊尽!では、写真のような「山にドップリ浸かった気分のいい山行!」を計画・実施してます。
初参加の方も歓迎します。興味ある方はどうぞご参加ください。
山遊尽!
五地蔵の山名版です
黒姫の山名板はなかった(雪の下か?)祠がチョコッと顔を出していました
ビデオ月刊誌、ビデオSALONに投稿した映像作品「 御嶽山 ( 8分 ) 」がアップされましたので、ご報告させて頂きます。
https://www.youtube.com/watch?v=-5nO0Cp_LYA
「愛TVながの」にも多くの山岳作品をアップしてますので、もし宜しければご覧下さい。
http://itv-nagano.com/contents/svideo/
小生の住んでいる茨城県日立市に、百名山全て、「夫婦で登って」「絵画(油彩)にした」
画家の方がいらっしゃるので、皆様にご紹介させていただきます。
http://www.net1.jway.ne.jp/fuji3180/
HPには1山1画のみ掲載しておりますが、複数画有している山もあります。
山が異なる素晴らしい姿を見せる場所をあちこち探し、
また、季節の違いが山の色彩のバリエーションを見せてくれます。
本部山行「天狗岳~縞枯山スノーシュー」の一コマ
写真は西天狗から東天狗の鞍部、雪のヤブに突入直前の余裕顔の面々
雪の少ない北八ツをスノーシューなしでともに旅した紳士、淑女の皆様、お疲れさまでした。
山遊尽!では、写真のような「山にドップリ浸かった気分のいい山行!」を計画・実施してます。
初参加の方も歓迎します。興味ある方はどうぞご参加ください。
山遊尽!