開催月日:2015/8/20(木)13:30~16:00
講師:山中美子氏(新ハイキングクラブ会員 「だって楽しい山歩き」著者)
場所:板橋区ハイライフプラザ
参加者:16名
1932年(昭和7年)にお生まれの山中さんが用意してくださった資料がまず圧巻でした。サブタイトルの ~戦後70年 時代の流れの中で~ の言葉通り、年表形式の資料は戦後の歩みと山中さんのこれまで、そして新ハイキングの歴史の三つがリンクしたすばらしいものでした
。山中さん誕生の年が奇しくも新ハイの前身である「ハイキング」誌が創刊された年であり、終戦の1945年9月に高尾山に登った、という事実は、ハイキングを通して戦後の日本に明るい光を当てようとする、「新ハイキング」の思想を体現したもの、という思いを持ちました。学童期を戦争に奪われ、終戦の年に女学校に入学し、それから70年。この時代の女性が学業に励み、就職し、結婚・子育てをしつつ地域にも貢献する。その上、ご自身の山登りはずっと続けてこられた。その裏な様々な工夫や努力があったはずです。子育てを終えてからは家族の介護をしなくてはならなくなりましたが、山の写真展を開催したり、本も出版されるなど、バイタリティにあふれる生活で現在に至っています。その時その時で無理をせず、周囲を受け入れ感謝しながら切り抜けていく具体的なエピソードに参加者は感心しきりでした。
最後に参加者全員から一言ずつ感想を発表していただき、終始和やかな雰囲気でお山の教室を終えました。
新ハイの大先輩の山中講師が、ご自分の今までの歩みをお話ししてくださいました。「新ハイキング」の会員歴は来年で60年というベテランですから、様々なステージでたくさんのエピソードがありました。
中でも、職場の山岳会での活動やPTAの親子ハイキングの実施、それが発展した山歩きの会、「やまびこ会」は今も活動している、とのこと。更に新ハイの支部を立ち上げ、自治体主催の山歩き教室の講座を担当し、その講座は同じスタンスで6年も続くほどの好評だったこと、など山中さんが、その時々の出会いを大切にしながら交友を広げ、ご自身の関わったたくさんの人たちに山歩きを通じて幸せを広げていったお話には一同感動でした。反面、山歩きにはご興味を持たない旦那様とのやりとりは、ギブ&テイクでご自分の夢もかなえていき、奥多摩に山荘まで建ててしまったお話に会場は笑いに包まれました。計画を立て、仲間を案内し、喜ばせて感謝される、それが山中さんのエネルギー源なのかな、と思いました。人に喜びを分けることが一番の幸せ、それを実践されていることが、山中さんの若さと美しさの秘密だと納得の時間でした。最後に、「これだけは強調しておきたいです。戦争だけは絶対にダメです。」というお言葉に、「平和があってこそ山歩きもできるんだな」という当たり前で大切な事柄を胸に刻みました。
山中さん、本当にありがとうございました。
世話人:湯沢 宏