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新ハイキング社 および 新ハイキングクラブ 沿革

小池利兵衛氏のこと

2012年3月 鮫島員義

先日新ハイキング社へ鴻巣の方が訪ねてこられた。「鴻巣の法要寺に小池利兵衛氏のお墓がある。ハイキングの普及に大変に尽力された方だったとだけ分かったが、新ハイキングで更に詳しく分からないか?」とのお問い合わせであった。

小池利兵衛氏は、戦後発刊の「新ハイキング」の前身「ハイキング」を、昭和8(1933)年に編集兼発行人として発刊。亡くなるまでここを発信拠点にハイキングの普及に全力を上げて取り組まれた方である。
「ハイキング」創刊号の巻頭言には「…かくて此ハイキング運動を、世の隅々にまで徹底せしむることによって、幾分たりとも、社会に貢献し得ると確信するものである。」と書き、編集後記に「本社同人一同、益々健闘して棋界の為に大いに気を吐く意気込みでいますからご期待ください。」と、今読むといささか肩に力が入り過ぎていると思わせるほどの意気込みで創刊をされている。創刊された当時は「ハイキグ」の言葉も今ほど一般的ではなく、所管の役所へ説明するのも苦労しながらだったとの思い出話も書かれているので、力が入るのも無理からぬ状況だったと思われる。

明治18(1885)年茨城県水海道生まれ、昭和14年(1939年)8月24日に54歳で亡くなってしまわれたのは、当時としてもいかにも早すぎた生涯であった。
鴻巣の法要寺にお墓がある詳しい事情は不明であるが、松本浩氏が書かれた追悼文の中に「ずっと以前に訪ねた時に気に入って遺言して逝かれた故」であるとの記述がある。
亡くなった翌年のNo.95号の追悼特集は「ハイキング界の先駆者」に対しての多くの追悼文が寄せられているが、「新ハイキング」創立メンバーである岩崎京二郎・小林玻璃三・澤田武志をはじめ、松本浩・坂倉登喜子など長く「新ハイ」を支えられた大先輩たちのお名前が並んでいる。これらの追悼文を読み返してみると、今の「新ハイキング」にそのまま脈々と受け継がれている「ハイキング誌は職業文筆家の手に依らず、ハイカー自身の手で書くこと」や藪漕ぎ山行や一等三角点を目指す山行が1世紀近く昔の小池さんにルーツを持っていたことに驚かされた。
「ハイキング」誌は小池利兵衛氏が亡くなった後もその志を受け継ぎ発行がされ続けたが、戦時色が濃くなり紙の統制が強まった昭和18年6月発行の119号「撃ちして止まむ!」を最終号として幕を閉じた。

「新ハイキング」はこの「ハイキング」の常連執筆者が再結集して昭和20年にクラブを立上げ、昭和25年に隔月刊として発行が始まった雑誌である。このときの「新ハイキング」立上や、創生時期の事情などについては、小林玻璃三前社長が「ハイキング小史」として5回に亘り書かれたものが「新ハイキング 別冊3号」(1990年7月発行)にまとまって掲載されている。

「新ハイキング」は以来62年間に亘りこの松明を受け継ぎ続けて今日を迎えているわけである。

以上

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